孤独は大人になればなるほど身近になってくるものです。

「学生時代は友達がいっぱいいたな」なんて懐古することがあれば、それはもう大人の孤独に一歩踏み込んでいるのかもしれません。

 

 

東洋経済オンラインにて「孤独」についての下記のような記事もありました。

『孤独のすすめ』「ソロ活」『孤独のグルメ』……。今、ちまたでは、「孤独」をポジティブにとらえる風潮が​高まっているように見える​。非婚化が進み、生涯未婚率は2020年には男性が26.0%、女性は17.4%、2030年には男性が29.5%、女性は22.5%まで上昇するとみられ、男性の約3人に1人、女性の4人に1人は生涯独身という時代を迎えようとしている。
引用:東洋経済オンライン

 

男性の30%以上、女性の25%以上が生涯未婚時代を迎えようとしているそうですが、結婚の岐路に立つ30歳前後の「孤独」とはどのような状態なのか考察していく。

 


 

 

 

■自分は孤独なのだろうか?

「自分は孤独だ」と感じている人は一説によると30歳の未婚男性で30%程度いるそうです。

ですが、本当に孤独とはどういう状態なのでしょうか?

 

一般的に「孤独」とは、身近に親しいと感じる人がおらず、プライベートや社会的に人との接点が乏しい人ために感じるものです。
そこで、人との接点として考えらえるものとして以下のような事柄が考えらます。

●会社の同僚や上司
●家族
●友人・知人

 

人との関係と言えば上記3つがメインでしょう。

働いていれば嫌でも会社の同僚と嫌でも顔を合わすことになり、家族と同居していれば会話はなかったとしても身近に人がいることになる。
友人・知人についても、時折遊びに行ったり飲みに行ったりするならば、これも人と接点があると言えるだろう。

 

つまるところ、究極の孤独とは、

●働いていない(若しくはフリーランス)
●家族と別居(両親が逝去も含む)
●友人0

の状態のことと言い換えることができるのかもしれません。

 

実はこれって難しいことなのです。

例えばですが、孤独になりがちなニートと仮定すると、親に寄生していなければ生きる事叶わない事が多いため、少なくとも家族との接点が持てるのです。
これが、高齢になると話はまた別なのでしょうが、30歳前後では孤独の極致には辿りつきずらいでしょう。

社会人はもちろん会社で同僚と接点があるはずですのでこれもまた極限の孤独とは言えないかもしれません。

もちろん人と接点があったとしても孤独を感じることは多いかもしれませんが、これらのことから「下を見ればまだ孤独な人がいる」と多くの言える人がではないでしょうか。

 

 

 

■孤独の名言

孤独は先祖代々、哲学として研究に研究を重ねられている倫理です。では、それらの英知はどのような名言を生み出したのかいくつかご紹介致します。

 

●アクセル・ムンテ
「死は孤独であるかもしれない。 しかし、生きているほど孤独であるはずがない」

●ウィンストン・チャーチル
「孤独な木は、仮に育つとすれば丈夫に育つ」

●久保 博正
「真の孤独とは、ただひとりでいることではない。自らの真の自由と自己の尊厳を自覚し、それを楽しむ高度な生き方の一つである」

●H イプセン
「この世の中で一番強い人間とは、孤独で、ただ一人で立つ者なのだ」

●ローウェル
「社会が性格にとって有益なものであると同じように、 孤独は想像力にとって有益なものである」

●E.アラン
「生き物は全て孤独である。 そして人間は自らが孤独であることを最も良く知る者である」

●フロイト
「自ら進んで求めた孤独や他者からの分離は、 人間関係から生ずる苦悩に対してもっとも手近な防衛となるものである」
 

 

 

■孤独を生き抜く時代の生き方

孤独を感じずに生きていくことはこれからの時代困難といえるのかもしれません。
しかし、臆病に下を向いて人生を歩むのも気が進むとは思えません。つまり、前向きになんとかしていく方が良いのです。

 

「しかし、どうすれば孤独に立ち向かえるのだろうか?」と永遠の議題が立ちはだかるでしょう。

 

「外に出て友達を作ればいい?」
「孤独を自分の時間として趣味に費やせばいい?」
「愛していない人とお見合い結婚すればいい?」

 

過去から現在まで哲学として受け継がれる議題なのですから、孤独の解決法に正解はないはずです。
きっと、友達を作ることも、趣味を楽しむことも、結婚を視野に入れることも全て正解であり、全て不正解なのかもしれません。

しかし、孤独に立ち向かって行動することだけは少なからず「正解」と言えるのではないでしょうか?
きっとその「行動」なしでは「孤独」に対抗することはできないと筆者は考えるからです。

 

今、「孤独で消えてしまいたい」と考えている人がもしかするといるのかもしれません。
しかし、消えてしまうのはもったいない。消えるくらいの行動力があるならば人生をかけていっぱい行動してみるのも一つの手段ではないのでしょうか?
その「行動」の結果が良い方向に動くことを願っております。